2011-02-23

「オーガニック」という自己矛盾

最近流行りの「オーガニック」「LOHAS」「マクロビオティック」といった文字列。
僕自身こういった言葉が多用されることに、どことなく違和感を持っていた。
特に「これはオーガニックだから買うんだ!」とか「それLOHASだよねぇ」と使われているとき。
なぜ違和感を持ってしまうのか?嘘くささが出てしまうのか?がなんとなく理解出来たのでまとめてみようと思う。


まず「オーガニック(有機)」ってのが「よりリアルなもの、自然なもの」という定義して、言葉自体はそれに伴う行動や生活様式なども包括するって前提で。


こういう環境意識の高まりってのは「リサイクル」であるとか「リユース」だったりの流れから始まったものだと思う。
行き過ぎた消費への反省から原点回帰するため、自給自足であったり、より環境負荷の低い方法で収穫された有機作物を買うようにしようっていう。
他には、毒入り餃子事件や狂牛病が問題になった時と被ってくると思う。
ここまでは自然っちゃ自然な流れで違和感なし。


どこから違和感が出てきたかと言えば、皆がオーガニックオーガニック言い始めた瞬間。
猫も杓子も「やっぱり有機栽培じゃないと嫌よね、怖いよね」と言い始めた瞬間。
カッコ付ければ「オーガニック」がキャズムを越えた瞬間とも言えるかもしれない。


個人より大きな単位でカテゴライズ出来ないほどに多様化された現代人の生活の中で「オーガニック」という言葉がもてはやされる違和感。
また疑問抜きに「オーガニック=良いもの」とされている違和感。


これはきっとスタイルが消費材になってしまったからだと思う。
大量消費へのアンチテーゼとしてのオーガニックが大量消費されている状態。


もちろんオーガニックの方が良いのは頭では理解出来るし、良いよねぇって言っといた方がモテるのも分かる。
ライフスタイルってプロダクトではないのにそれが消費されていくことに対する納得出来ない気持ち。

もちろんスタイリスト・編集者・DJっていう、いわゆる複数のプロダクトをミックス出来る人が流行を作り出してる現代なんだけれども。



イノベーター
「これがやっぱり自然だから.」
アーリーアダプター
「オーガニック、それ良いじゃん?やってみよ」
〜〜〜〜〜〜キャズム〜〜〜〜〜〜
アーリーマジョリティ+レイトマジョリティ
「え、みんなオーガニックなの、やばいやばい」


こうやって流行が作られてくってイノベーター理論では説明されてるんだよね。
これが21世紀にも通用するのか?って課題なのかも。


とりあえず「流行が作られること」への不信感とも言い換えられるかも知れない。
友達に話したら「どんなに自然にとけ込んだ建築でも結局は人工物なんですよって感じか?」ってまとめてくれて、まさにその通り。


この駄文を踏まえて
「21世紀、広告会社はどうやって流行を作っていくのか?」
「作られた流行へ違和感を感じる消費者をいかに消費させるか?」
ってことも考えてみたいと思うので、会う人には聞いていこうっと。


とりあえずこの辺で。
もうちょい勉強してから本にしてみます。



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